20240328_映画「オッペンハイマー」の感想

今週月曜日に映画『オッペンハイマー』の先行上映があり、新宿のTOHOシネマズへ見に行ってきました。席予約の争奪戦にちょっと出遅れてしまったので、そこまでいい席ではなかったのですが、IMAXの品質は十分に味わうことができました。

 

とりあえず1回目見に行った感想を書き連ねていこうと思います。

 

日本公開が遅れに遅れていたこともあり、公開を待ち望んでいた多くの人にとっては「やっとか。。。」という思いでしょう。自分もその一人です。そもそもアメリカでは映画『バービー』と同日公開だったので、本来であれば日本での公開も『バービー』と同じくらいでもおかしくないはずです。しかし日本公開にむけて少なくとも2つほどの障害が出てきてしまい、公開が遅れに遅れてしまったようです。一つは、扱っている題材が日本にとってこれ以上ないほどセンシティブな出来事である原爆であるという点です。原爆開発に携わった科学者の生涯を描いた作品であることから、8月の原爆投下の日に近い日での公開は避けたようです。もう一つはBarbenheimerというミームSNS上で非常に配慮のないかたちで拡散してしまったことです。『バービー』と『オッペンハイマー』という数年に一度の作品がでたこともあり、アメリカの映画界隈では2つを並べて語ることで、かなり盛り上がっていたのでしょう。しかし、そのノリは日本側からみれば、原爆投下というセンシティブな事象を茶化しているともうけとれます。公式の対応もこのいわば不謹慎ノリを止めることなく、加速させてしまったことから、日本側からひんしゅくを買うことになってしまいました。アカデミー賞最有力候補でありながら、公開日すら決まっていない状況に、「まさか日本での劇場公開はなくなってしまうのか・・・?もっと状況が悪ければ日本で視聴する手段すら提供されないのでは・・・」とさえ思っていました。そのような状況が長らく続いていましたが、年明けにやっとビターズ・エンドという配給会社から公開することが決まりました。

 

このような状況もあり、「オッペンハイマー」は公開前から最注目の映画になっていました。とんでもない作品がでてきたという情報を得てからかなり時間がたっていたので、自分の個人的な期待や興味は通常の作品とは比べものにならないレベルに膨れあがっていました。そんな同志がたくさんいるかなと思いましたが、先行上映会は熱気に包まれるというよりも、「やっとみることができる・・・」という安堵感が漂っている印象でした。ちなみに先行上映会ではパンフレットの販売もあり、パンフレットの方も通常公開よりも早めに購入するができました。内容的には演者やスタッフインタビュー、評論家や専門家による解説・批評という感じで、一般的なものです(軽く読んだだけなので、これからしっかり読もうと思います)。

 

鑑賞後に最初にでてきた感想としては、原爆の父である科学者の栄光と挫折・苦悩を、見事に描き切った傑作というものでした。複数の時間軸とオッペンハイマーとその政敵であるルイス・ストロースの2人の視点を交差させながら、核を人類にもたらした一人の人間の罪と罰を鑑賞者に印象付けることができていたと思います。ほぼこれが自分のこの映画の結論のようなものです。

 

「難解である」という前評判からややかまえて観に行ったものの、そこまで難しいと感じられるところはなかったです。とくに自分は原案となった"American Prometheus"(邦訳『オッペンハイマー上・中・下』(早川書房))を一通り読んでいたので、背景も理解できたし、多数の登場人物の把握もあまり苦にならなかったです。そもそもセリフで画面に映っている人が誰なのかも言ってくれていたりするので、思っていたよりかなり親切なつくりでした。

 

IMAXシアターで見たこともあり、映像の没入感にはとてつもないものがありました。オッペンハイマーの脳内でのイメージは、繊細で研ぎ澄まされた彼の想像力を観客に説得力をもって感じさせるものになっています。さらにトリニティ実験のシーンなどは畏怖すらも感じる迫力を味わいました。

 

複数の時間軸の交差は映画を理解しづらいものにしているけど、ここがこの映画最大のポイントではないかと思います。ノーラン監督は過去多くの作品で時間軸を操作して映画の語りを形成しているので、監督の常とう手段というか得意なことなのでしょう。今回でいえば戦後に行われたオッペンハイマーのセキュリティクリアランスにかんする聴聞会の時間軸をメインとしているはずです。そこに原爆開発の時間軸を交差させることで、オッペンハイマーの人生、そして彼の犯したミスはどのようなものであったのか、それによって彼が背負った罪はどのようなものであったのかを遡及的に語りなおしています。原爆開発などの時間軸の直後に聴聞会のシーンを挿入することで、過去の彼の行いがその後どのように彼自身を苦しめることになるのかをうまく説明させ、印象的なものにしているともいえます。またストロースの視点からみれば、ストロースの商務長官の任命に関する議会での聴聞会の時間軸(オッペンハイマー失脚後)をメインにすえています。彼がオッペンハイマープリンストン高等研究所所長に迎えた時間軸、オッペンハイマーから屈辱をうけた時間軸、オッペンハイマーの失脚を狙い陰謀を企てる時間軸を交差させることで、なぜ彼が最初は憧れすらいだいていたオッペンハイマーを憎むようになったのか、そして彼にもまた背負ってしまった罪があるというのを描いています。このように複数の時間軸をうまく操作することで、単なる一直線の時間軸では描けない罪と罰の描写を可能にしているのだろうと考えます。

 

日本公開の是非が議論になっていたころは、「原爆開発者を英雄化した作品」という誤った印象が広まっていましたが、実際の作品は全く異なった視点から描かれたものでした。むしろ、技術的興味や功名心にひかれてしまった科学者のはまった罠やその後の後悔を描いた作品です。そしてこのようなものは私たちの人生にも転がっているものなのではないかと、問うているようにも見えます。また現状の核武装の状況、オッペンハイマーが変えてしまった世界に生きる私たちにとって、世界を滅ぼすほどの兵器がもはや自明視されそれに安住していることへの異議申し立てでもあるといえるでしょう。初期の核兵器開発の状況や彼の懸念・懺悔を追体験することで、現状を相対化する視点を与えてくれるのではないでしょうか。

 

このように現代社会における重大なテーマを扱いながらも、圧倒的な映像美で鑑賞者に充足感を与える作品になっています。ぜひ劇場で観れるうちに観ることを強くオススメします!